福岡地方裁判所 昭和47年(行ウ)33号 判決 1974年3月30日
原告
孫振鴻、三山又は密山文秀こと
孫振斗
右訴訟代理人
久保田康史
外二名
被告
福岡県知事
亀井光
右指定代理人
小沢義彦
外三名
主文
一、被告が昭和四七年七月一四日付をもってなした原告の被爆者健康手帳交付申請を却下する旨の処分を取消す。
二、訴訟費用は、被告の負担とする。
事実
第一、当事者の求める裁判
一、原告
主文同旨の判決。
二、被告
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は、原告の負担とする。
との判決。
第二、当事者の主張
一、原告の請求原因
1 原告は、昭和四五年一二月原爆症治療の目的で韓国より日本に赴き、不法入国したところを逮捕され、身柄拘束のまま昭和四六年一月三〇日佐賀地方裁判所唐津支部において出入国管理令違反により懲役一〇月の判決を受け、それを不服として福岡高等裁判所に控訴したが同年六月七日控訴棄却の判決を受け、右判決の確定後福岡刑務所で服役していたところ、同年八月一二日結核の病状が悪化したため右刑の執行を停止され、同日結核予防法に基づく命令入所の措置を受けて国立福岡東病院に入院し、昭和四八年一月二六日原告の希望により広島日赤病院に転院したが、同年五月二日同病院を退院したので、同年八月二四日広島刑務所において残刑の執行を受け終り、現在大村入国者収容所に収容されている者である。
2 原告は、広島市に原子爆弾が投下された昭和二〇年八月六日午前八時一五分ごろ、広島市皆実町一丁目の広島専売局敷地内にあつた広島電信電話局倉庫内にいた。
3 原告は、昭和四六年一〇月五日、広島市南観音町一丁目五番二号に住む藤井平作および同町一丁目一番七号に住む松浦スミ子両名の各作成した被爆状況証明書ならびに原告本人作成の「被爆状況申立書」と題する書面を添付して、福岡県粕屋保健所を通じて被告に対し、被爆者健康手帳の交付を申請した。
4 ところが、被告は、昭和四七年七月一四日付で原告の右申請を却下する旨の処分(以下、単に本件却下処分という。)をなし、右処分は同日書面で原告に通知されたが、右書面には、その却下の理由として、「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律の趣旨は、法定の措置を行なうことにより地域社会の福祉の向上を図ることにあり、同法の適用を受ける者は、地域社会との結合関係(居住関係)があることが要件とされているのであるが、原告の日本国内在留の事実は、同法が予定している居住関係ではなく、したがって原告には、同法の適用がない。」旨の記載がある。
5 しかし、被告のなした本件却下処分は、つぎの理由により違法であるから、取消されるべきである。
すなわち、原子爆弾被爆者の医療等に関する法律(以下単に「原爆医療法」と略称する。)の立法趣旨は、広島市および長崎市に投下された原子爆弾の被爆者が今なお置かれている健康上の特別の状態に着目し、被爆の事実さえあれば、国の責任において何人に対してもその保護を与えるというものであり、同法には、その適用の範囲について、国籍や居住関係の有無等によつて、なんら制限する旨の規定は存しない。
したがつて、被告のなした本件却下処分は、原爆医療法の明文の規定やその立法趣旨に反するばかりでなく、憲法一四条にも反する違法なものであつて、取消を免れない。
二、被告の答弁と主張
1 請求原因に対する答弁
(一) 請求原因1の事実中原告の来日の目的は争うが、その余の事実はすべて認める。
(二) 同2の事実は知らない。
(三) 同3、4の事実は認める。
(四) 同5は争う。
2 被告の主張
(一) 原爆医療法は、広島市および長崎市に投下された原子爆弾の被爆者に対し、国が健康診断および医療を行うことにより原子爆弾の被爆者の健康の保持および向上をはかることを目的とするものであつて、原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律(以下、単に「原爆特別措置法」と略称する。)と相まつて原子爆弾の被爆者の福祉の積極的向上をはかるところのいわゆる社会保障法である。
(二) ところで、原爆医療法および原爆特別措置法が外国人に対しても適用されるか否かの問題については、右二法には外国人に対する適用を排除する旨の規定は存しないから、右二法は日本人のみならず外国人についても適用されると解するのが相当であり、被告においてもこれまでに日本国内に居住関係を有する四九名の外国人について原爆医療法を適用して、被爆者健康手帳を交付している。
(三) しかし、前記のとおり、原爆医療法および原爆特別措置法は、いわゆる社会保障法であるところ、本来社会保障制度はその社会の構成員の福祉の増進をはかることを目的とするものであるから、外国人が右二法の適用を受けるためには、当該外国人が日本国内に現在するというだけでは足りず、少なくとも適法に在留する者で、かつ、日本社会の構成員として社会生活を営んでいること、換言すれば日本国内に居住関係を有することが必要である。したがつて、一時的旅行者のように日本国内に居住関係を有しない外国人については、前記二法は適用されないと解すべきである。
そのことは、原爆医療法四条所定の健康診断が毎年行うものとされていること、同法三条所定の被爆者健康手張が三年ごとに更新するものとされていること(同法施行規則五条の二第一項)等同法および原爆特別措置法が被爆者に対して行うことを予定している施策は、いずれも長期間的なものである点からもうかがわれるところである。
(四) ところで、原告は、前記のとおり、わが国に不法入国直後逮捕され、その後は、不法入国に伴う刑の執行を受けるために日本国内に滞在していたにすぎないのであつて、その期間の長期におよんだのも刑の執行中における結核の発病という偶発的事由によるものであつて、原告が日本国内に居住関係を有しない点においては前記の一時的旅行者の場合と少しも異なるところはない。
なお、原告は、右結核の療期間中に生活保護の措置を受けて生活扶助や医療扶助を受けた事実があるけれども、これは特別の行政措置によるものであつて、生活保護法の適用によるものではない。
すなわち、生活保護法は日本国民に対してのみ適用される(同法一条)のであるから、「生活に困窮する外国人に対する生活保護の措置」は外国人に対し、生活保護法に準じた取扱いをしていることとなるものであるが、そもそも生活保護はいわゆる最低限の生活を維持させるためのものであつて、例えばまさに飢えようとしている外国人に対してこれを放置することは人道上許されないところから、当該外国人が日本国内に居住関係を有すると否とにかかわらず、当該外国人に対しても最低限の生活を維持できるように措置しているのである。かかる理由から、日本国内に居住関係を有しない原告に対しても右の措置が、講じられたのであるが、原爆医療法や原爆特別措置法は、原子爆弾の被爆者の最低限の生活保障というよりは、より積極的な社会保障を目的としているものであるから、右二法が外国人に適用されるためには、当該外国人が日本国内に居住関係を有することが必要である。
また、原告は、結核予防法に基づく命令入所の措置を受けて入院したけれども同法は、結核が伝染性の疾患であるところから、いわゆる社会防衛的な目的をも有しており、そのため同法を外国人に適用するについて当該外国人が日本国内に居住関係を有する必要はないのである。
このように、いわゆる社会保障法といわれる法律であつても、当該法律の趣旨や立法目的によつて例外的に外国人に対する適用の要件として当該外国人が日本国内に居住関係を有することを必要としない場合があるけれども、いわゆる社会保障法が本来的に外国人をも適用の対象としている場合は、原則として、当該外国人が日本国内に居住関係を有すると解すべきである。
したがつて、原告について、原爆医療法の適用がないとしてなされた本件却下処分は適法である。
三、被告の主張に対する原告の反論
1 被告は、外国人が原爆医療法の適用を受けるためには、当該外国人が日本国内に適法に在留し、かつ、日本社会の構成員として社会生活を営んでいることが必要である旨主張する。
しかし、同法には、そのような要件を規定した明文上の根拠もなく、また同法の立法趣旨や全体の構造に照らしても被告の右主張は失当である。
同法には、外国人に対する適用について、日本人と差別を設けた規定は皆無であるから、同法は外国人に対しても日本人と同様の権利を保障したものというべきであり、したがつて、外国人に対してのみ特別の要件を求めるのは、原爆医療法の立法趣旨に反するものである。
2 つぎに、被告は、原爆医療法がいわゆる社会保保障法であることを前提として、原告への適用がないことを主張している。
しかし、同法は、その一条に規定するように広島市及び長崎市に投下された原子爆弾の被爆者に対し、国が健康診断及び医療を行うことにより被爆者の健康の保持及び向上をはかることを目的とするものであつて、同法は、むしろ国家賠償の性質を有するものであるから、同法の適用の要件として「適法な在留関係」とか「日本社会の構成員」等の要求することは失当である。
仮りに、原爆医療法がいわゆる社会保障法の一つであるとしても、そのことが直ちに原告に対し同法を適用するうえで妨げになるものとは解されない。
なぜならば原告は、国立福岡東病院・広島日赤病院に入院中、生活保護法の適用を受け、生活扶助、医療扶助の支給を受けてきた。生活保護法はいわゆる社会保障法の重要な一環であるから、同法の適用の事実によつても、「一時滞在者には社会保障法の適用はない。」との被告の主張が誤つていることは明らかである。
3 さらに、被告は、原爆医療法に基づく被爆者に対する種々の施策がいずれも長期的なものであることを理由に、外国人に対する同法の適用の要件として当該外国人が日本国内に居住関係を有することが必要であると主張する。しかし原子爆弾の傷害作用に起因して負傷し、又は疾病にかかつた者が短期間の治療によつてその治療効果をあげることも可能であり、また仮りにわが国に入国した時点で正規の在留資格を持たない場合であつても、出入国管理令五〇条により法務大臣の留在許可を受けてわが国に滞在することもあり、退去強制令書が発付された後においても出入国管理令五四条に定める仮放免の許可をうけ、その更新をくり返すことによつて長期にわたつて滞在することが可能になる場合もあり得るのであるから、かかる場合においては、原爆医療法に基づく長期にわたる診断・検査・治療等を受けることが十分可能であるから、被告の右主張も失当というべきである。
第三、証拠<略>
理由
一原告が、昭和四五年一二月韓国よりわが国に不法入国したところを逮捕され、身柄拘束のまま昭和四六年一月三〇日佐賀地方裁判所唐津支部において出入国管理令違反により懲役一〇月の判決を受け、それを不服として福岡高等裁判所に控訴したが同年六月七日控訴棄却の判決を受け、右判決の確定後は刑の執行のため同月二五日より福岡刑務所で服役していたところ、同年八月一二日結核の病状が悪化したため右刑の執行を停止され、結核予防法に基づく命令入所の措置を受けて同日国立福岡東病院に入院し、昭和四八年一月二六日には原告の希望により広島日赤病院へ転院したが同年五月二日入院の必要がなくなったため同病院を退院し、広島刑務所において残刑の執行を受け、同年八日二四日刑期満了し、現在大村入国者収容所に収容されていること、
昭和四六年一〇月五日、国立福岡東病院入院中の原告は福岡県粕屋保健所を経由して被告に対し、原告自身が作成した「被爆状況申立書」と題する書面と広島市南観音町一丁目五番二号に住む藤井平作および同町一丁目一番七号に住む松浦スミ子両名の各成した被爆状況証明書とを添付して、被爆者健康手帳の交付方を申請したところ、被告は、昭和四七年七月一四日付で原告の右申請を却下し、右処分は同日書面で原告に通知されたが、右書面には、その却下した理由として原告主張の記載があること、
以上の事実については、いずれも当事者間に争いはない。
二<証拠>を総合すると、原告は少なくとも昭和一八年頃から昭和二〇年九月頃までの間広島市内に両親と妹と居住し、同市に原子爆弾が投下された際(昭和二〇年八月六日午前八時一五分ごろ)には家業手伝いのため当時の広島市皆実町にあった広島地方専売局の倉庫内にあったことを認めることができ、ほかに、右認定を左右する証拠はない。
三そこで、被告のなした本件却下処分の適否について検討する。
1原爆医療法が、今次の大戦における戦争犠牲者を救済するための法制の一環をなすことには疑いがないが、同法には、外国人被爆者に対し、その適用を排除する特別の規定は存しないから、この点、権利主体を日本国籍を有する者に制限する趣旨の規定を設けるところの
戦傷病者戦没者遺族等援護法(昭和二七年法律第一二七号)
引揚者給付金等支給法(昭和三二年法律第一〇九号)
未帰還者に関する特別措置法(昭和三四年法律第七号)
戦没者等の妻に対する特別給付金支給法(昭和三八年法律第六一号)
戦傷病者特別援護法(昭和三八年法律第一六八号)
戦没者等の遺族に対する特別弔慰金支給法(昭和四〇年法律第一〇〇号)
戦傷病者等の妻に対する特別給付金支給法(昭和四一年法律第一〇九号)
引揚者等に対する特別交付金の支給に関する法律(昭和四二年法律第一一四号)
などの他の戦争犠牲者救済のための一連の法律とも明らかに異なるところがあり、このように同法が特に国籍による適用制限の規定を有しないことからすれば同法は本来、日本人被爆者者のみならず外国人被爆者に対しても適用されることを予定した法律である、と解するのが相当である。
<証拠>によれば、広島市長は昭和四八年一〇月現在において外国人被爆者一六八九名に対し被爆者健康手帳を交付していることが認められるし、被告においても、これまでに四九名の外国人被爆者に被爆者健康手帳を交付していることは被告の自陳するところであるから、行政の実際においても、右の解釈を是認する取扱いがなされているものということができる。
2ところで、被告は、原爆医療法が外国人被爆者にも適用のあることは是認しつつも、同法がいわゆる社会保障法としてその社会の構成員の福祉の増進をはかることを目的とするものだからとして、外国人被爆者が同法の適用を受けるためには、当該外国人が日本国内に適法に在留し、かつ、日本社会の構成員として社会生活を営んでいること、換言すれば日本国内に居住関係を有することが必要であると主張する。
(一) たしかに、わが国の社会保障制度の一環としての医療保障制度を国民健康保険法などによる社会保険制度、生活保護法に基づく医療扶助制度、結核予防法や精神衛生法など各種の法律や予算措置によって行なわれている公費医療制度、の三種に大別するときは、原爆医療法は戦傷病者特別援護法などとともに右の公費医療制度の一つに含ましめることもでき、その限りで、原爆医療法をいわゆる社会保障法であるということができないわけではないけれども、同法が日本人被爆者のみならず外国人被爆者に対しても適用されることを予定した法律、すなわち外国人被爆者に対しても権利主体としての法的地位を与えた法律と解されること前段判示のとおりであってみれば、同法はこの点においてすでに他のいわゆる社会保障法とも類を異にする特異の立法というべき側面を有するものということができるから、同法がいわゆる社会保障法たる一面を有することの一事から、同法において外国人被爆者が権利主体たりうるためには、当該外国人が日本国内に適法に在留し、かつ、日本社会の構成員たることを要することの制限的解釈が当然に導かれるわけのものではなく、結局のところ、同法固有の立法目的や法文に則して、外国人被爆者に対し被告主張のような居住関係による制約があるかどうかを確定すべきこととなる。
(二) ところで原原爆医療法はその一条において、「この法律は、広島市及び長崎市に投下された原子爆弾の被爆者が今なお置かれている健康上の特別の状態にかんがみ、国が被爆者に対し健康診断及び医療を行うことにより、その健康の保持及び向上をはかることを目的とする。」と規定している。これによると、同法の立法目的は、原子爆弾の被爆者が現在もなお置かれている健康上の特別な状態に着目して、国が法定の措置を行うことにより、その被爆者個々人の個々具体的な健康状態に即した配慮をしつつその健康の保持および向上をはかろうとするものということができ、同法が原子爆弾の被爆者個々人の救済を第一義とするものであることは右のとおり法文上において明らかなところであり、社会全体の福祉の向上なるものは、国が原子爆弾の被爆者個々人になした右の施策の結果とし副次的にもたらされることがあるにすぎないということができる。
そうだとすると、被告が本件却下処分を原告へ通知するにあたつて、その理由中で、原爆医療法の趣旨は、「法定の措置を行なうことにより地域社会の福祉の向上を図ることにあり……」と述べたことは同法の立法趣旨を誤解するものといわねばならず、右の「地域社会の福祉」を図るという法認識を被告が本件訴訟で主張するような「日本社会の構成員の福祉」を図る趣旨の法認識であったといいかえても、それが、日本社会の構成員を集団として把え、原子爆弾の被爆者個々人の救済を社会集団の福祉のための救済として副次的に把えたものであるならば、同様に、同法の立法趣旨を誤解するものといわねばならず、被告のそれが、「地域社会の福祉」とは「原子爆弾の被爆者のうち日本社会の構成員である者の福祉」の意であるとの主張であれば、ここにはじめて検討に値する問題提起たりうるものということができるのである。
しかしながら、同法の立法目的を掲げた右一条の法文から、同法は、その適用要件としての権利主体たる地位を、「原子爆弾の被爆者のうち日本社会の構成員である者に限る」法意である、と制限的に解釈すべき手がかりを発見することは困難である。
(三) そこで進んで、原爆医療法二条以下の法文を見るに、
同法二条は、「この法律において『被爆者』とは、次の各号の一に該当する者であって、被爆者健康手帳の交付を受けたものをいう。
一、原子爆弾が投下された際当時の広島市若しくは長崎市の区域内又は政令で定めるこれらに隣接する区域内にあった者
二、原子爆弾が投下された時から起算して政令で定める期間内に前号に規定する区域のうちで政令で定める区域内にあった者
三、前二号に掲げる者のほか、原子爆弾が投下された際又はその後において、身体に原子爆弾放射能の影響を受けるような事情の下にあった者
四、三号に掲げる者が当該各号に規定する事由に該当した当時その者の胎児であった者」と規定し
同法三条は「被爆者健康手帳の交付を受けようとする者は、その居住地(居住地を有しないときは、その現在地とする。以下同じ。)の都道府県知事(その居住地が広島市又は長崎市であるときは、当該市の長とする。以下同じ。)に申請しなければならない。」(一項)「都道府県知事は、前項の申請に基いて審査し、申請者が前各条号の一に該当すると認めるときは、その者に被爆者健康手帳を交付するものとする。」(二項)「被爆者健康手帳に関し必要な事項は、政令で定める。」(三項)と規定している。
しかして、同法中、他には被爆者健康手帳の交付申請権者の範囲を定めたと見うる規定は存しない。
そこで以上の法文を検討すれば足りることとなるが、そこで明らかなように、同法二条では、同条各号の一に該当する者(以下、この者を「原子爆弾の被爆者」ということがある。)であって被爆者健康手帳の交付を受けたものを同法において「被爆者」と呼称することを定め、同法三条では、原子爆弾の被爆者に対する法定の措置を開始すべき端緒をまず被爆者健康手帳の交付を受けようとする者からの申請にかからせることを定め、本来国が講ずべきはずの法定の措置を分担代行するものとしての責任機関を、当該申請者の所住地(その居住地を原則とし、居住地を有しないときは、その現在地)との関連において特定することを定め、被爆者健康手帳の交付を受けようとする者からの申請を受理した責任機関は、その者が同法二条各号の一に該当すると認めるときは、その者に被爆者健康手帳を交付すべきことを定めているだけであつて、直接的にも間接的にも原爆医療法の適用要件としての権利主体たる地位を、「原子爆弾の被爆者のうち日本社会の構成員である者に限る」法意であるとうかがわせるものは何も存しない。
ちなみに、原爆医療法三条に「その居住地(居住地を有しないときは、その現在地とする。以下同じ。)」とあるのは、生活保護法(昭和二五年法律第一四四号)一九条の規定におけるそれと同じく、法所定の措置を受けるべき者と措置実施責任機関とを連結するための管轄を定める技術規定であって、前者、すなわち法所定の措置を受けるべき者の有する要保護状態の緊急性によっては、例えば災害救助法(昭和二二年法律第一一八号)では災害発生地と定め、行旅病人及行旅亡人取扱法(明治三二年法律第九三号)では所在地と定めらるることともなるものであり、行政法規が原則として属地主義により、法定の措置実施責任機関も国内に存することから、いうところの災害地や居住地、現在地、所在地等も当然に国内におけるそれを指すこととなるのであるが、これら管轄特定のための技術規定と、例えば児童手当法(昭和四六年法律第七三号)が手当支給のための積極要件の一つとして、日本国民であることのほかに日本国内に住所を有するときに支給するとし、児童扶養手当法(昭和三六年法律第二三八号)、特別児童扶養手当法(昭和三九年法律第一三四号)が手当支給の消極要件の一つとして、日本国民でないときのほか日本国内に住所を有しないときに支給しないとするときの、手当支給の要件としての住所地の意味するところとは明確に区別さるべきものである。したがつて、原爆医療法三条に「その居住地(居住地を有しないときは、その現在地とする。以下同じ。)」とあることによつて被爆者健康手帳の交付を受けようとする者は少なくとも日本国内に現在すべしとの当然の事理は導きられても、この法文の字句から、被爆者健康手帳の交付を受けうる者が日本国内に居住関係を有する者に限られる趣旨と受取ることは許されないのである。
(四) もつとも、被告は、原爆医療法や原爆特別措置法が被爆者に対して行うことを予定している種々の施策がいずれも長期的なものであることからして、外国人被爆者が同法の適用を受けるためには、当該外国人が日本国内に居住関係を有することを必要とするとも主張している。
なるほど、原爆医療法を適用する場合、原子爆弾の被爆者において日本国内に居住関係を有するならば、同法の意図する被爆者救済の実をあげるためにも効果的であるし、行政上も便宜で望ましいことではあろうけれども、同法が用意する長期的施策が享受できるかどうかは被爆者側の事情や都合によるものであつて、これが享受できない者は被爆者として同法の権利主体たりえないとするのは本末てん倒というべきである。
(五) 以上で見たとおり、外国人被爆者が原爆医療法の適用を受けるためにはその者が日本国内に適法に在留し、かつ、日本社会の構成員として社会生活を営んでいることが必要であるとの被告主張は、同法の趣旨や法文に照らし採用することができない。
(六) かくして原爆医療法の建前は、原子爆弾の被爆者でさえあれば、たとえその者が外国人であつても、その者が日本国内に現在することによつて同法の適用を受けるとするものと解するのが相当である。
その結果として、わが国に観光を目的として一時的に入国した外国人旅行者や不法入国した者についても、その者が原子爆弾の被爆者である限り、その者に同法は適用されることとなる。
しかしながら、このことはあくまでも同法の建前から導かれる結論であつて、これら入国者に対しては、同法とは法益を異にした、他の国策に基づく種々の法律が重畳的に適用される関係にあるから、その結果として、一時的に入国した外国人旅行者等については、その入国目的や在留期間に従うため、また「不法入国者については、刑事裁判による制裁に服すとか退去強制の措置のとられることがあるため、これら入国者においては原爆医療法が用意した救済の措置を充分に享受しえない場合がありうることとなるけれども、それであるからといつて、これら入国者からの被爆者健康手帳の交付申請に対し、当該管轄機関が他の法益や国策をおもんばかつて同法の適用をためらうことは許されないことである。
3そこで原爆医療法に対する以上の理解に立つて本件事案を考えると、原告は、すでに認定したとおり、広島市に原子爆弾が投下された際当時の広島市内にあつた者であるから原爆医療法二条一号に該当する者に外ならず、前記のとおり、原告が昭和四六年一〇月五日、入院先の国立福岡東病院から被告に対し同法三条に則り被爆者健康手帳の交付方を申請したことは当事者間に争いがないのであるから、被告が原告に対し、原告には原爆医療法の適用がないとして右申請を却下したのは、違法というほかなく、右処分は取消すべきものである。
四結論
以上の次第であるから、原告の本訴請求は理由があり、これを認容すべきであるので、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。
(井野三郎 江口寛志 照屋常信)